明神軌道と明神電車

更新日:2019年11月22日

鉱山学習館前にある客車赤金号と機関車

鉱山学習館前にある客車赤金号と機関車

明治29年から三菱合資会社は、生野・神子畑・明延・中瀬の鉱山経営を開始しました。明延鉱山では、明治42年(1909)に錫鉱脈が発見され、日本一の錫鉱山へと開発されていきました。 神子畑鉱山では銀を産出しなくなり、明延は錫鉱石の採掘、神子畑は選鉱場として分業体制をとりました。このため明延から神子畑に鉱石を運搬する手段が必要となりました。 明治43年には牛車などを利用して鉱石を運搬しました。しかし、けわしい山道でした。このため大正元年、全長5,750メートルの架空索道を建設して輸送しました。その後、昭和4年に明神隧道3,937メートルが完成し、電車で鉱石を運搬しました。当初の軌間(軌道の幅)は500ミリメートルです。その後、昭和16年に762ミリメートルに拡張しました。このルートが明神軌道です。これによって神子畑は、明延鉱山神子畑選鉱場として繁栄しました。    

明神軌道と明神電車

神子畑選鉱場跡

神子畑選鉱場跡

明神軌道は、明延鉱山の大仙粗砕場から神子畑選鉱場までの5,750メートルを結ぶ線路です。この線路を走る電車を明神電車といいました。昭和4年に完成し、4トン電気機関車と1トン鉱車を配備しました。昭和16年に軌道を500ミリメートルから762ミリメートルに広げて輸送力を増大させ、10トン電気機関車と4トン鉱車で鉱石を運ぶようになります。この762ミリメートル(2フィート6インチ)という軌間は、軽便鉄道や森林鉄道に使われる軌間です。JRの在来線は1067ミリメートル(3フィート6インチ)です。 明神軌道以外は、坑道の内外ともに軌間500ミリメートルになっています。大仙から北側にのびる妙見区、南谷坑へ続く線路も軌間500ミリメートルで、「五節ズリ捨て線」とよばれていました。 明神軌道には、第1隧道から第5隧道まで5個のトンネルがありました。その中でも第3隧道の明神隧道は最大で、距離は3,937メートルです。明神電車は鉱石運搬のために1日10往復運行し、客車の一円電車は1日3往復していました。  

鉱山車両の製作と修理

 明延いこいの家に、客車くろがね号を牽引した電気機関車18号、自走式客車白金号を展示しています。白金号は昭和27年、客車くろがね号は昭和24年、明延鉱山工作課神子畑機械工場で製造しました。赤金号も明延鉱山の製作です。 また客車あおば号(生野銀山シルバー生野展示)は昭和34年、客車わかば号(神子畑選鉱場跡展示)は昭和35年、明延鉱山の大仙地区にあった鉱車修理工場で製造されました。明延鉱山では電車も自分たちで作りました。電車の製造や鉄道の建設は重要な鉱山技術の一つだったのです。明延鉱山で作られた本物の客車が今も動いています。

神子畑選鉱場跡にある機関車・客車・坑車

神子畑選鉱場跡にある機関車・客車・坑車

史跡生野銀山にある機関車・客車

史跡生野銀山にある機関車・客車

明神軌道略図

                                                               明神軌道略図

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