九鹿・沖田1号墳・鏡の発見(平成14年度)

更新日:2019年12月04日

鏡の発見

沖田古墳群

沖田古墳群

町道高柳小佐線建設工事にともなって八鹿町教育委員会が発掘調査を実施している沖田1号墳・第1主体の石棺から鏡と石釧(イシクシロ)がセットで出土しました。但馬では和田山町城ノ山古墳の出土品(国指定文化財)に次ぐ発見です。特に石棺の蓋石の上に置かれた出土状態は、極めて珍しい事例です。副葬品から5世紀初頭(ただし4世紀末と考える研究者もある)に作られた古墳と考えられ、鏡は兵庫県下で2例目となるダ龍鏡(だりゅうきょう)と判明しました。

沖田1号墳

墳丘

墳丘測量図

墳丘測量図

1号墳は、標高127メートルの尾根の頂上部に位置します。1号墳から北西方向に張り出した尾根の先端部に11号墳が作られ、さらに北東方向にのびる尾根には9号墳、さらに東方向の尾根方向には3号墳が作られています。1号墳はこれらの3基の古墳を従えるような最も高い位置の中央に作られています。 墳丘の規模は東西23メートル、南北21メートル、高さ3.9メートルの円墳です。墳丘の裾部に平坦なテラスを作って古墳を際立たせています。眼下には八鹿町九鹿地区を一望することができる良好な位置に作られており、九鹿集落に基盤を置いた首長を埋葬した古墳と考えられます。

埋葬施設

沖田1号墳

沖田1号墳

埋葬施設をつくる墳丘の平坦部は、東西10.5メートル、南北7.5メートルで、東西方向に長い楕円形を示しています。石棺はいずれも尾根筋に対して併行し、東西方向に主軸をおいています。埋葬施設はいずれも石棺で3基あります。墓壙はいずれも二段墓壙です。石棺の石材は、板状に割れる凝灰岩系の石材を切り出して利用しています。付近に露頭は確認されていないので、特別に運んできた石材と思われます。石棺の蓋石はいずれも被覆粘土で覆われていました。

    鏡が出土した第1主体は石棺で、古墳の墳丘中心部に位置するため、1号墳の中心埋葬と考えられます。石棺は3枚の石材で覆っており、全体で長さ227センチメートルで幅67センチメートルを計ります。西側から縦96センチメートル・横81センチメートル、縦65センチメートル・横65センチメートル、縦68センチメートル・横60センチメートルの大きさの石材を置きます。中央の石材の上で、鏡と石釧が出土しました。この上を粘土で目張りして、さらに石材を1石のせて全体を粘土で覆っていました。

側面は板状の石材を3石使って作ります。床面には礫をひきます。副葬品は、著しく腐食していましたが、鉄剣の痕跡を確認し、鉄鏃1点が出土しました。蓋石や石棺の幅の規模からみて、頭位は西と考えられます。第2主体も石棺で、第1主体の後に併行して、一部、重なるように作られています。副葬品は鉄鏃が1点ありました。枕石が存在することから東に頭位を置きます。

第3主体は、第2主体の長軸方向にほぼ主軸をあわせた位置に作られています。床面の礫は3主体の中では最も大きいです。頭位は石棺の幅からみて東と推定されます。棺の底は、第1・2主体に比べて深いです。副葬品はありませんでした。

3沖田1号墳主体一覧
  墓壙     石棺      
  全長

深さ 全長 深さ 副葬品
第1主体 323cm 205cm 20cm 178cm 39cm 32cm 鏡・石釧
第2主体 260cm 205cm 25cm 155cm 33cm 22cm 鉄鏃
第3主体 327cm 190cm 55cm 168cm 35cm 25cm なし

 

出土遺物

第1主体石棺の中央の蓋石の上に鏡と石釧が、同じ高さで1センチメートルの間隔をおいて置かれていました。鏡や釧は貴重なもので、一般には被葬者とともに棺内に置かれる副葬品ですが、沖田古墳の場合は、墓壙内棺外副葬(ボコウナイカンガイフクソウ)という特殊な出土状態です。棺上で行われた葬送儀礼行為として注目されます。

鏡と石釧は石棺とともに粘土で被われていました。石棺の板石の間を目詰めする被覆粘土とよばれるものです。結果的に粘土で被われていたために保存状態が良好でした。

鏡・石釧の検出状況(横から)

     鏡・石釧の検出状況(横から)

鏡・石釧の完掘状況

            鏡・石釧の完掘状況

ダ龍鏡

ダ龍鏡

鏡は直径が17.4センチメートルで、縁の厚さは0.7センチメートルあります。兵庫県下で2例目となるダ龍鏡(だりゅうきょう)です。ダは、ワニという文字で、ダ龍はワニの一種と考えられたので、この文字があてられました。研究者によっては単頭双胴怪獣鏡とよぶ倭で作られた鏡であり、倣製鏡(ぼうせいきょう)とよばれる倭鏡工人が作りだした鏡です。基本単位はひとつの頭部に対して、座した体部と巻き込むような体部のふたつがとりつく特異な鏡です。中国鏡にある口に巨(きょ)という棒状品をくわえた龍などの霊獣がめぐる構図を、倭鏡工人が大胆に改変して、立像と芋虫状の屈曲する太い胴からなるふたつの体が一つの頭についた怪奇な怪獣を作りだしたものです。

鏡実測図

鏡実測図(平面・断面)

内区は直径7.2センチメートルで、半円方形帯がめぐっています。その中に4体の蟠龍(バンリュウ)が配置されています。蟠龍は縦1.9センチメートル、横3.2センチメートルです。 石釧は腕輪形の石製品です。大きさは下側で直径7.3センチメートル、上側で直径5.7センチメートル、高さ1.4センチメートルです。斜面に刻みをもち、側面には3段の凹線をつけるものです。但馬では和田山町城ノ山古墳で4点がまとまって出土しています。前期古墳を代表する石製模造品ですが、新しい型式で、5世紀前半の遺物と考えています。

まとめ

沖田11号墳第2主体では長方板矧板革綴短甲(チョウホウバンカワトジタンコウ)が1個体出土しました。短甲はヤマト政権の中心部(大阪府の百舌古墳群・古市古墳群の被葬者が統率する製作集団)において製作されたものです。同じように沖田1号墳から出土したダ龍鏡もヤマト政権に直属する倭鏡工人が製作し、配布したものです。鏡は呪具祭器としての特質をもち、政治と祭儀の中で呪力を発揮しました。

九鹿地域にいた中小規模古墳の統括者が、和田山町茶すり山古墳のような大形古墳を代表する副葬品である鏡や短甲を所持している実態が判明しました。古墳時代中期の但馬を考える場合に、茶スリ山古墳のような1基だけの大型古墳だけでなく、沖田1号墳のような古墳群を作る中小規模古墳の中心にある古墳を見直す契機になると思われます。

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