馬瀬・奥ヶ口1号墳の調査(平成16年度)

更新日:2019年12月04日

奥ヶ口1号墳・奥ヶ口遺跡

奥ヶ口1号墳・奥ヶ口遺跡

日高町知見から養父市八鹿町馬瀬をつなぐ知見八鹿線整備事業という道路工事が実施されることになりました。道路の延長は約2800メートルで、そのうちトンネル区間が約1600メートルあります。この道路工事に伴う埋蔵文化財調査を平成16年9月から実施しました。

木棺を伴う円墳である奥ヶ口1号墳を発見し、全面調査を実施しました。また平安時代の土器散布地や室町時代の石仏を置いた奥ヶ口遺跡を発掘しました。調査を実施した面積は約600平方メートルです。

奥ヶ口1号墳

調査地は馬瀬集落の北側に位置する山林から水田地域にあたり、南斜面の日当たりのよい丘陵地となっています。道路は、馬瀬地区の氏神である熊野神社の前方をとおって、西から東方向に山に向かって入っていきます。

出土した鉄剣

出土した鉄剣

須恵器の壺

                     須恵器の壺

奥ヶ口1号墳の立面図(上)と地形図(下)

奥ヶ口1号墳の立面図(上)と地形図(下)

奥ヶ口1号墳は、小さな尾根筋の先端部にあたり、標高は115メートルから121メートルに立地します。古墳の規模は、南北9.5メートル、東西14.0メートルの東西方向に長い円墳です。古墳の溝の幅は2.0メートルから2.5メートルです。山側に一文字に溝を掘り、東側は鈍角にまがり、西側はゆるやか直角に近い形で円弧を描いています。

墳丘の上にある平坦部は中世に削平されていますが、現状では幅4.0メートル、長さ9.5メートルの台形の範囲がやや傾斜する平坦部となっています。この中心に埋葬施設が作られることが多いため精査をしました。しかし埋葬施設は確認できなかったので、消滅していると判断しました。

しかし古墳の周溝に壊される形で、鉄刀を伴う墓壙(ぼこう)と考えられる落ち込みを検出しました。溝で削られているため墓壙の規模は分かりませんが、長さ220センチメートル、幅70センチメートル程度と推定しています。鉄刀は上端部を欠損しましたが、現存長は約40センチメートルです。1号墳が作られる以前に、木棺が存在したことが判明しました。

またこの鉄刀から東側に1メートルの位置で須恵器杯身(つきみ)・杯蓋(つきぶた)の各1個体(溝底から45センチメートル上)、さらに1.6メートルの位置(溝底から35センチメートル上)で須恵器短頸(たんけい)壺・蓋の各1個体等が出土しました。

奥ヶ口1号墳は中心に作られる埋葬施設は検出できませんでしたが、鉄刀・須恵器などの出土品を検出しました。6世紀前半から中頃にかけて、木棺を伴う古墳が作られたことが判明しました。

奥ヶ口遺跡

奥ヶ口遺跡は室町時代に石仏を設置した遺跡です。奥ヶ口1号墳の墳丘を、少し拡張して利用して作られたものです。この石仏群を出土した位置を第1地点としました。さらに30メートルほど北東側で平安時代の土器群も出土したので、第2地点としました。

第1地点

一石五輪塔

一石五輪塔

古墳の墳丘の中心部が、幅6メートル・長さ7.5メートルの平坦部になっています。古墳の墳丘を拡張して平坦部を作ったものです。表土を取り除いた段階で、一石五輪塔などを検出しました。

また山側の斜面部にあたる標高120.20メートル付近では、石仏10体が並んで出土しました。東側から第1群(石仏4体)、第2群(石仏4体)、第3群(石仏2体)の形に集まって出土しました。石仏は、図像が1体のものや2体のものがあります。また石仏の上部に三角形の笠をもつものとないものがあります。特に第1群と第2群は、ほぼ現位置を保っていると考えられます。

しかし一石五輪塔を出土した平坦部と斜面部の第1群との高低差は2.40メートルもあります。こうした斜面部の高い位置に石仏が設置された理由は分かりませんが、付近に石仏をめぐる巡礼道があった可能性も考えられます。

山側斜面から出土した石仏群(第1群)

 山側斜面から出土した石仏群(第1群)

山側斜面から出土した石仏群(第2群)

 山側斜面から出土した石仏群(第2群)

山側斜面から出土した石仏群(南東から)

山側斜面から出土した石仏群(南東から)

山側斜面から出土した石仏群(西から)

山側斜面から出土した石仏群(西から)

第2地点

第1地点から北東に35メートルの位置で、11世紀から12世紀の須恵器椀(すえきわん)、土師器椀(はじきわん)を検出しました。底部がほぼ完形を示すものもあることから、遺物は大きくは動いていないと思われます。底部を糸切り技法で仕上げる特徴的な土器です。

土師器椀

                    土師器椀

須恵器椀

                      須恵器椀

遺構は、山側を掘りこんで谷側にゆるやかに傾斜する平坦部を作ります。幅1.20メートルから1.70メートルで長さ7.50メートルに渡って細長い平坦部でありますが、遺構の性格や遺物が出土した理由は分かりません。しかし平安時代後期の土器が確認できたことは貴重です。

まとめ

遺跡全景(西から)

遺跡全景(西から)

今回の試掘調査によって、奥ヶ口1号墳および石仏を伴う奥ヶ口遺跡を確認しました。養父市八鹿町馬瀬地域では初めての古墳調査であり、鉄刀や須恵器を確認しました。小佐地域の歴史の一端を示す貴重な発見となりました。また近接して奥ヶ口2号墳があることも分かりました。

奥ヶ口遺跡は古墳の平坦部を再利用して石仏を設置した中世の遺跡です。また付近では11世紀頃の底部に糸切り痕跡を示す土師器椀の破片も出土しました。平安時代の生活の痕跡を確認しました。

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