まちの文化財(97) 吉井の井上神社

更新日:2019年11月15日

もともとは割拝殿

もともとは割拝殿

拝殿にある中井家の彫刻

拝殿にある中井家の彫刻

 

平成24年10月養父市歴史ウォークが行われ、32人が参加しました。関宮の関神社、吉井の井上神社、中瀬の金昌寺、大日寺、中瀬鉱山、白岩城などを見学しました。

井上神社は、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した素戔嗚命(すさのおのみこと)と、その妻となった櫛稲田姫命(くしなだひめ)を祭神としており、祇園神社の側面があります。 吉井の世話人さんは、「江戸時代の吉井には三柱神社、山王神社、山神社、岡野神社、祇園神社の5社がありました。これを明治7年に祇園神社である井上神社にまとめました。神社の入口の下には、日照りでも水がかれない清らかな井戸があることから井上神社といいます。式内社といわれています」と、熱心に説明しました。

拝殿は、明治7年の建立です。当初は中央が通り道となる割拝殿でした。大正時代に床をはって改修し、現在のような床を全体にはった建物になりました。 拝殿の正面には、雲の間を飛ぶ龍の彫刻、獅子と獏の彫刻があります。彫刻は大正4年頃の整備で、制作者は「丹波氷上郡柏原町、彫刻師八代目、中井権次橘正胤(なかいごんじたちばなのまさたね)」です。

拝殿の壁には「敬神愛国」という文字と「明治三十八年戦役無恙従軍、霊徳無窮為報恩、奉納」と書いた奉納額がありました。日露戦争に従軍し、生還した人が感謝したものです。

拝殿の一段下には、現在も利用されている農村歌舞伎舞台があります。昭和56年から吉井の人たちによって村芝居が復活しました。平成24年の秋祭りの宵宮、10月6日には「一本刀土俵入り」が上演されました。平成24年で第26回目になります。江戸時代を舞台とした村芝居を、養父市でも吉井地区だけが続けています。

神社や石碑などの村の歴史を見ながら、歩いた距離は12キロメートル、歩数は1万8千歩、健康を実感する一日となりました。 

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