まちの文化財(150) 小野山鉄蔵翁の石碑

更新日:2019年11月14日

左近山集落

大屋川を望む左近山集落

県道沿いにある顕彰碑

県道沿いにある顕彰碑

 

左近山区の県道に面して「小野山鉄蔵翁之碑」と刻んだ石碑があります。石材は高さ260センチメートルで幅170センチメートル、台座も長さ240センチメートルで幅140センチメートルの大きな石材です。裏側に「昭和六年之秋建之、有志者」の文字があります。

小野山鉄蔵氏は明治6年左近山に生まれました。明治42年、八鹿製糸場を前身とする但馬製糸株式会社(鎌田三郎兵衛氏が経営)に入社し、翌年取締役に就任します。

大正3年に但馬製糸株式会社が郡是製糸株式会社に買収されて一旦退社しますが、大正6年郡是製糸株式会社に入社し、大正12年八鹿工場長、大正14年養父工場長を務め、昭和3年55歳で定年退社しました。大正8年には広谷銀行の取締役も務めています。

大正4年『養父郡報』には「左近山は本郡養蚕の本場と称せらるること久し。その掃立(はきたて)数量において、技術の進歩において、また設備経営の上において、よく本場の名ある所以(ゆえん)なり」と書かれています。左近山では別棟の養蚕場を作り、一面が桑畑でした。

大正9年の1戸あたりの繭の生産量は、大屋地域が県下最大で平均150キログラムしたが、浅野・左近山・玉見・稲津・畑の5集落の平均は約225キログラムもありました。

小野山鉄蔵氏は左近山で独自の桑の木の剪定方法を考案し、小野山式剪定法と呼ばれました。また製糸工程の煮繭機(しゃけんき)の改良による半沈繰糸法を考案したといいます。

小野山鉄蔵氏は製糸業の技術や経営の専門家で、地域から尊敬され、58歳にして顕彰碑が建てられました。大日本蚕糸会から有功章が贈られるなど、養父市の養蚕業の発展に貢献しました。

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