まちの文化財(142) 小佐の赤米づくり
小佐地区にある八鹿小学校の赤米水田
中村区にある当初からの赤米水田
昭和38年、平城宮跡の発掘調査によって1枚の木簡(もっかん)が出土しました。長さ26センチメートルのヒノキの板に「但馬国養父郡老左郷(おさごう)赤米五斗、村長語部(かたりべ)広麻呂、天平勝宝七歳五月」の文字がありました。
この木簡は、小佐郷(おさごう)に住む語部広麻呂という人が、奈良の都に税として赤米を送った時に付けた荷札です。役割をおえて捨てられ、発掘調査で土の中から発見されたものです。老左は小佐の異字です。当時の小佐郷は、現在の八鹿小学校区とほぼ同じ範囲でした。養父市の先人が筆と墨で書いた最古の漢字資料です。
天平勝宝7歳は奈良時代の年号で、西暦755年です。奈良の大仏が完成した3年後にあたります。当時の赤米5斗は米1俵で約30キログラムです(現在は米4斗が1俵で、約60キログラム)。
昭和63年、608年研究会の梅谷博貞会長が赤米の籾種を入手し、小佐地区の山下忍夫氏が赤米栽培を始めました。平成2年からは小佐小学校でも始まりました。
平成3年には小佐小学校から奈良へ赤米献上が始まりました。赤米献上は、小佐郷の木簡の歴史を伝える行事です。平成24年3月に小佐小学校が八鹿小学校に統合するまで、20回続きました。小佐の赤米栽培と奈良への赤米献上がセットになって、小佐の赤米の郷づくりが進められました。
赤米には玄米の外皮(ぬか)にアントシアンという赤い色素が含まれています。現在では希少性が高く、古代米とも呼ばれています。また赤飯のルーツともいいます。
兵庫県下には小学校が約780校ありますが、赤米栽培に取り組む小学校は八鹿小学校だけです。平成28年10月、八鹿小学校6年生が小佐地区で作った赤米を奈良の平城宮に献上します。小佐小学校から数えて21回目の赤米の献上になります。
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更新日:2022年11月18日