まちの文化財(100) 八鹿道路元票

更新日:2019年11月15日

屋岡橋の正面にある八鹿ふれあい倶楽部

屋岡橋の正面にある八鹿ふれあい倶楽部

大正3年の八鹿道路元票

大正3年の八鹿道路元票

 

八鹿ふれあい倶楽部の前に「八鹿町道路元標」と書いた石碑があります。高さ77センチメートル、幅25センチメートルの石柱です。

大正8年、日本で初めて道路法が公布されました。その施行令によって、道路元標は各市町村に1個を置き、管理者がこれを建設し、位置は県知事が定め、石材は25センチメートル角で高さ60センチメートルのものと決められました。

大正9年には、兵庫県告示第225号で場所が決められました。養父市内では八鹿町、建屋村、大屋村、西谷村の4例が現地に残っています。 当時の八鹿町役場は、八鹿小学校西側にあるハローワーク八鹿の場所にありました。なぜ、役場から離れたこの位置に、八鹿町の道路元標が置かれたのでしょうか。

宮越の交差点から京口をとおって八鹿ふれあい倶楽部に至る道路は、明治11年、生野から津居山に向かう県道改修事業によって作られたものです。それ以前は、上網場から大森へ続く円山川沿いの街道が幹線道路でした。 明治11年の道路建設によって、現在の京口の道路が造られました。この結果、八鹿ふれあい倶楽部の前の道路は、豊岡・鳥取・姫路をむすぶ結節点となりました。但馬交通網の重要な分岐点となったのです。

八鹿ふれあい倶楽部の場所は、明治24年に八鹿警察署が建てられ、その後、明治41年に八鹿郵便局となり、平成13年に八鹿ふれあい倶楽部が建設されました。長い間、但馬交通網の結節点でした。このため八鹿町道路元標が設置されたのです。

道路建設は、いつの時代にも大きな期待が寄せられていました。 平成24年11月、北近畿豊岡自動車道が養父市まで開通しました。道路元標の意味はなくなりましたが、今も静かに道路の歴史を見守っています。

 

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