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まちの文化財(22) 八木城跡

まちの文化財(22) 八木城跡
 

      八木城(本丸)             八木城(高石垣)


兵庫県に国指定文化財の城跡が、幾つあるのか分かりますか。
姫路城跡・篠山城跡・赤穂城跡・洲本城跡などが有名ですが、県下で14の城跡あります。但馬では朝来市和田山町の竹田城跡、豊岡市出石町の此隅山(このすみやま)城跡と有子山(ありこやま)城跡、そして養父市の八木城跡の4城だけです。
八木城跡は平成9年に国指定文化財となりました。国指定の範囲は393千平方メートルあります。そこに八木城跡、八木土城跡、殿(との)屋敷遺跡などの遺跡があります。
文化11年(1814)1月13日、全国測量の旅の途中で養父市を訪れた伊能忠敬は測量日記に、「下八木村、右四町ばかり古城跡、字城山。永禄二年まで八木但馬守居城。その後天正八年まで別所豊後守居城のよし」と書いています。永禄二年は天正八年、天正八年は慶長五年の間違いのようですが、八木城を最初に調査した人物は、伊能忠敬になります。
八木城跡には二つの重要な性格があります。第1は、天正13年(1585)天下を治めた羽柴秀吉が別所重宗を大名に任命し、八木城に入れたことです。重宗は、養父市内で一万二千石を与えられて八木藩の城と城下町を整備しました。
第2は、室町時代に山名氏の四天王として活躍した八木氏の城跡ということです。八木氏は福井市の一乗谷の城下町で栄えた越前朝倉氏の本家筋にもあたります。天正年間の初期には、八木豊信という武将が活躍しました。
八木城跡は、標高330mの城山に本丸を築いています。城下町のある南側は高さ9.3mの高い石垣で防御しています。八木城跡の文化財的な価値は、櫓台石垣や虎口など江戸時代の城郭の源流となる石垣をもつ縄張りが現在も保存されていることです。
八木城跡の本丸は、表側に高石垣を作る一方で裏側は土作りのままです。これは、石垣のない中世城郭から高石垣を多用する近世城郭への過渡期の様相を示しています。つまり本丸の構造の中にも、中世城郭と近世城郭の二つの特徴を持ち合わせ持っています。兵庫県を代表する織豊系城郭として、八木城跡は大変貴重な城郭なのです。
豊臣大名が築いた織豊系城郭として八木城跡は、兵庫県を代表する歴史遺産です。ぜひ一度、見学してみてください。

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