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養父市の3階建養蚕農家

養父市の3階建養蚕農家

3階建の養蚕農家住宅

 農家では米作りや麦作りなどの他に、副業として養蚕や炭焼きをしました。明治時代中期から昭和前半にかけて、養蚕に適した養蚕農家住宅が多く作られました。養父市を中心に但馬地方に広がっています。
 養蚕をするために新築や改築をされた3階建の農家住宅を3階建養蚕農家住宅と呼んでいます。3階建養蚕農家には2種類あります。3階正面の壁面の高さが1.0m程度の中三階(ちゅうさんがい)と、2.0m程度ある三階屋(さんがいや)です。養父市内には現在でも中三階が269棟、三階屋が226棟、合計495棟あります。養蚕農家の外観的な特徴は3階建、大壁、掃き出し窓、抜気などが存在することです。大屋には多くの養蚕農家住宅があります。
 3階建は養父市を中心として但馬地方の山村地域に多く作られました。茅葺の平屋建や2階建を改修して瓦屋の3階建にした事例も多く認められます。明治23年という棟札が発見されていることから、この時期には普及していたと考えています。

 3階壁面の低い中三階の画像
3階壁面の低い中三階
3階壁面の高い三階屋の画像 
3階壁面の高い三階屋

住居と蚕室を兼用した農家住宅

 養蚕農家住宅は、但馬地域で明治時代に養蚕をするために特別な形で発達した住居と蚕室を兼用した住宅構造をもつ建物です。養蚕には温暖飼育という方法があります。室内温度を暖めて蚕を飼育する方法です。室内温度を効率的に管理するため、人と蚕が一体となって生活しました。室内には、蚕が桑の葉を食べるザワザワとした音が響きました。かいこは「おかいこさん」と呼ばれており、大切な家族の一員でした。
 養父市では養蚕のことを「かいこ飼い」といいました。そして米作り以上に養蚕のに熱心な農家を養蚕家と呼びました。繭の生産量は昭和2年では、一戸平均で40貫(150kg)から50貫、熱心な農家は100貫(375kg)以上の繭を生産しました。養蚕には多くの桑畑が必要なことから、集落の裏山にある里山の多くは桑畑でした。そして家族以外にも手伝いの人を雇ってかいこを育てました。
 
玄関内側の広い土間の画像 
玄関内側の広い土間
みせの間とおもての間の画像 
みせの間とおもての間

屋根の形

屋根の上に付く抜気(越屋根)の画像 
 屋根の上に付く抜気(越屋根)

 3階の大屋根はハの字に開いただけの切妻造(きりつまつくり)です。屋根は瓦葺が基本ですが、豪雪地帯では鉄板葺もあります。またそれ以前には板葺も杉皮葺もありました。3階建になると壁に雨があたるため、2階と3階の間に小庇を取り付ける場合もあります。そして屋根の上には、小さな切妻屋根の越屋根がつきます。これを地元では、抜気(ばっき)と呼んでいます。

大壁と大津壁

 柱を壁で塗り込める場合を大壁(おおかべ)、柱が見える場合を真壁(しんかべ)と呼んでいます。養蚕農家は、1階は大壁、真壁の両方がありますが、2階と3階は多くの場合、大壁になっています。温暖飼育するめに温度管理に適した大壁にします。しかし養蚕農家でない場合は真壁が主流です。換気が必要な時には掃き出し窓を開いて一度に外気を入れることができます。外壁は、下塗と中塗をした場合と、その上に大津壁で上塗りをした場合があります。

 柱の見えない大壁の画像
柱の見えない大壁
 柱を見せる真壁の画像
柱を見せる真壁