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妙見山に鎮座する名草神社

妙見山に鎮座する名草神社

妙見山の名草神社

名草神社本殿にある神紋・七曜紋の画像 
 名草神社本殿にある神紋・七曜紋
 名草神社や妙見集落のことを妙見山と呼びます。名草神社が妙見社と呼ばれていることから、この付近を妙見と呼ぶようになりました。妙見山は標高1,139mで、その八合目にあたる標高800mの場所に名草神社本殿があります。
 但馬の山岳地帯にある名草神社には、昭和40年頃までは多くの人々が登山道を歩いて登って参拝しました。養父市八鹿町日畑から名草神社を通って香美町村岡区作山に至る山道が中心道路です。徒歩でしか通れない登山道ですが、現在でも兵庫の県道になっています。その他にも養父市八鹿町石原、養父市関宮の尾崎や大谷、豊岡市日高町観音寺など、各地から名草神社に参拝する登山道があります。
 名草神社は、五穀豊穣をつかさどる名草彦大神を主祭神とする神社です。妙見杉の巨木林に囲まれた境内は、但馬地方を代表する大きな神社であり、多くの歴史文化遺産を伝えています。
 また名草神社への登山道には2か所に、不動明王の磨崖仏があります。石原の磨崖仏は高さ76cmの小さなものですが、天文14年(1545)に作られた但馬で最古のものです。妙見の磨崖仏は天文16年のものです。古から妙見山への参道が開かれていたことを物語っています。

妙見社の御師

 妙見御師の御札の画像
 妙見御師の御札
 妙見社は、北極星や北斗七星を神仏として祀りました。これを北辰北斗といいます。名草神社本殿には、妙見社として天御中主神などを祀っています。星が人の運命の長短を支配すると信じられていました。江戸時代には村岡藩や出石藩の祈願所にもなったと言いわれており、山陰地方を代表する妙見信仰の総本宮として栄えました。
 妙見村の人々は御師と呼ばれる神職として、苗字・帯刀を許されていました。そして但馬、因幡、播磨、美作、丹後、丹波の国々で配札をしました。「妙見社御牛玉 水原善大夫」「妙見社御牛玉 野垣神大夫」等と書いた御札を配り、病気平癒などの加持祈祷も行ったようです。嘉永7年(1854)に「但州妙見社人、田中芳之助、大森甚太夫、水原善太夫」らの妙見村の人々に廻村配札を許可したという鳥取藩の記録があります。
 全国には多くの妙見社があります。福島県相馬中村神社(国指定重要文化財)、埼玉県秩父神社(県指定文化財)、熊本県八代神社(県指定文化財)、千葉県千葉神社などです。相馬藩主の相馬氏、熊本藩主の細川氏、下総国の千葉氏などが信仰しました。千葉周作の北辰一刀流も妙見信仰の表れです。全国には多くの妙見神社があります。

名草神社への登山道

 妙見山にある名草神社は、養父郡と美方郡と城崎郡の境界付近に立地しています。このため多くの登山道がありました。八鹿から小佐を通って日畑・妙見、八鹿から小佐を通って石原・妙見、尾崎・大谷から山を越えて妙見、八木から今滝寺を越えて石原・妙見、豊岡市日高町観音寺から山を越えて妙見、香美町村岡区作山から山を越えて妙見などです。
 名草神社は標高800mという高地にありましたが、山の麓の各地から登山道がつながっていました。こうした山道を多くの参拝者や巡礼者が登ってきて賑わいました。参道沿いには、天文14年(1545)に作られた磨崖仏もあって古くから参詣者で賑わっていたことが分かります。
 明治14年出版の養父郡全図の部分の画像
 明治14年出版の養父郡全図の部分