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まちの文化財(167) 兵庫県最大の豊受社

まちの文化財(167) 兵庫県最大の豊受社

3階建てと4階建ての豊受社 現在の豊受社あと
       3階建(東蚕室)と4階建(西蚕室)の豊受社             現在の豊受社跡        
大正7年豊受社記念写真
大正7年7月豊受社講習所記念写真


小城にあった蚕種(さんしゅ)製造所、豊受社の続報です。明治40年頃の豊受社に関する写真(養父町史第2巻)が残っています。
手前は東蚕室で、屋根は瓦葺の入母屋(いりもや)造りで三階建て、外壁は柱を壁に塗りこめた大壁(おおかべ)造りです。蚕室14室、事務所、応接室がありました。その後方は西蚕屋で、屋根が入母屋造りで四階建てです。養蚕室12室、教室、食堂、寄宿舎がありました。東蚕室の裏側にある本宅養蚕室(松田家)は現存しています。
建物は東蚕室が長さ33メートル、西蚕室は長さ24メートルの大きな建物です。水田や桑畑に囲まれ、農村に巨大な洋風建築が出現しました。
大正77月の豊受社の記念写真には、講習生と職員で女子約100人、男子約50人の合計150人が写っています。
昭和5年、豊受社は蚕種製造高が2486680蛾となり、全国21位、兵庫県最大の蚕種を製造する会社となりました。昭和7年、豊受社は、片倉製糸大分製糸所に蚕紙2500枚、備作製糸(株)岡山工場に蚕紙500枚(品種は、豊黄×松金)を販売しています。豊受社ではイタリアから新しい蚕種を輸入して交配し、改良に取り組みました。
しかし、昭和20年、豊受社は終戦を機会として早くも廃業しました。そして、昭和28年この建物を利用して「南但養老院」(後の南但老人ホーム)を開設しました。
松田源治たち先人の活躍によって養父市は兵庫県を代表する養蚕王国に成長しました。彼が座右の銘とした「養蚕是国築」「養業国富源」の扁額が残っています。養蚕振興によって全国の農村が豊かになりました。養蚕業や製糸業は養父市の近代化の推進役となりました。

 

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