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まちの文化財(166) 豊受社と松田源治

まちの文化財(166) 豊受社と松田源治

創立50周年記念の初代松田源治の銅像豊受社の創立50周年記念碑

創立50周年記念の初代松田源治の銅像          豊受社創立50周年の記念碑         

 

明治25年、初代松田源治は小城に蚕種(さんしゅ)製造所である豊受社(ほうじゅしゃ)を設立しました。慶応3年の創業から50年目にあたる大正6年、敷地内に頌徳碑が建設されています。文字は上田蚕糸専門学校(後の信州大学)の初代校長針塚長太郎氏の揮毫です。
カイコの卵を蚕種と言います。良い蚕種からはよいカイコが育ち、よい生糸が作れました。養蚕農家や製糸工場は共に蚕種が重要です。
明治40年、豊受社は蚕業講習所を開設しました。明治40年7月、第1期生18人が入学し、寄宿舎に入って学びました。定員は40人で修養期間は4月から7月まで、養蚕・製種・繭蚕種審査法・蚕種検査を実地で学びました。第1期の伝習生は、養父郡7名、朝来郡6名のほか氷上郡・美方郡・神崎郡・佐用郡から集まりました
豊受社養蚕伝習所は小学校を卒業した者が4か月で養蚕技術を学ぶ私立の実業学校でした。養蚕農家を始める時には蚕種の提供をうけ、生産した繭の代金による清算払いができました。
豊受社蚕業講習所長の松田甚之助は『実地活用蚕業講習全書』を明治40年に発行し、教科書として使用しました。また、豊受社は明治42年1月から日刊新聞『日本の蚕業』を創刊しました。
豊受社では、冬の雪を地下に貯蔵し、氷室の中で蚕種を低温保存する蚕種貯蔵施設を建設、春から秋まで長期にわたって蚕種を販売しました。
松田源治は豊受社の社長の襲名による名前です。源一(弘化元年-大正11)、甚之助(明治10-昭和28)、義雄(明治37-昭和45)の3代に渡って松田源治を名乗って、養蚕振興に取り組みました。初代源治の4男の松田覚太は、大正9年豊受社蚕業講習所の主任講師から岩手県盛岡市にある岩手蚕種株式会社(現在岩手農蚕株式会社)の専務支配人に招聘され、後に社長となって岩手県の養蚕振興に大きく貢献しています。豊受社によって多くの養蚕家が養成され、養蚕振興に大きく貢献しました

 

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