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まちの文化財(122) 小出家の大薮陣屋

まちの文化財(122) 小出家の大薮陣屋
開基である小出英輝の墓所大薮泉光寺の円通堂
     開基である小出英輝の墓所           大薮泉光寺の円通堂

大薮に旗本小出家の陣屋がありました。寛文6年(1666)、第5代出石藩主の小出吉重(よししげ)は、5万石の領地から5千石を3人の弟に与えて旗本としました。
小出英本(ふさもと)は豊岡市の倉見陣屋で2千石、小出英信(ふさのぶ)は養父市の大塚陣屋で2千石(後に大薮陣屋に移転して1千5百石)、小出英勝は豊岡市日高町の山本陣屋で1千石(後に水上に移転)です。
大薮陣屋は大薮公民館の北側奥にありました。現在は住宅や畑になっています。当主は江戸の旗本屋敷に住み、国家老の大島家と森島家が代官を勤めました。大薮陣屋の領地は、畑・稲津・大薮・大塚・上野・大江・岩崎などの集落でした。
大薮には大薮小出家の足跡が残っています。大薮の泉光寺は、第2代小出英輝(ふさてる)を開基とする旗本小出家の菩提寺です。英輝の弟の英長は、本家をついで第8代出石藩主となりました。
泉光寺は臨済宗妙心寺派の寺院です。正徳元年(1711)、福井県小浜市にある常高寺の第4世住職である萬里須鉄(ばんりすてつ)和尚が開山しました。
常高寺は小浜藩主京極高次の正室、初(常高院)の菩提寺です。初の姉は豊臣秀吉の側室であり、豊臣秀頼の母である茶々(淀殿)です。そして妹は、徳川秀忠の正室である江(崇源院)であり、その長女は豊臣秀頼の妻となった千姫です。
大薮小出家は1千5百石、小浜藩京極家は9万2千石です。なぜ、小浜市にある常高寺のような大寺院の住職が、遠く離れた養父市の泉光寺に派遣されたのでしょう。
大薮小出家は、初代出石藩主小出吉政から始まっています。そして小出吉政は豊臣秀吉の従兄弟になります。つまり豊臣秀吉の一族という縁によって、小出英輝が京極家に菩提寺を開く支援を依頼したと想像しています。

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