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まちの文化財(115) 八木城跡と別所重棟

まちの文化財(115) 八木城跡と別所重棟
長方形の割石を使った石垣八木城跡にある高い石垣
    長方形の割石を使った石垣          八木城跡にある高い石垣

NHKの大河ドラマ「黒田官兵衛」に、養父市に関わる人物が登場しています。それは三木城主別所長治の叔父として登場する別所重棟(しげむね)です。別所重棟は天正13年(1585)、羽柴秀吉から1万5千石を与えられて、八木城主となった人物です。
当初、三木城主別所長治は、織田信長と同盟していましたが離反し、天正6年、織田家と敵対する毛利家に味方します。しかし別所重棟は織田信長の味方を続け、羽柴秀吉や黒田官兵衛とともに三木城攻めに参加しました。
別所重棟は、福島正則の姉と結婚しました。福島正則が豊臣秀吉のいとこにあたる関係から、別所重棟も豊臣家の親戚となりました。天正19年、別所重棟の息子である別所吉治(よしはる)が八木城主を継ぎました。吉治の「吉」は、秀吉から一字を譲り受けたものでしょう。
別所重棟が生活した城主館(じょうしゅやかた)跡が下八木にある御里(おさと)遺跡です。御里遺跡では、庭園遺構や大手道遺構のほか、天目茶碗や中国製の磁器が見つかっています。
それでは誰が、いつ、八木城の石垣を築いたのでしょうか。それは別所吉治です。
石垣の隅角部(ぐうかくぶ)の積み方が算木(さんぎ)積みという完成度の高いものであること、岩から石垣に使う石材を切り出すために矢穴を刻んだ石材が多数存在することなどによって、石垣の構築年代は慶長初期と判断しています。
慶長5年(1600)におこった関ヶ原の合戦で、八木城主別所吉治は徳川家康に敵対しました。このため八木城は廃城となりました。しかし別所吉治は許されて、丹波市氷上町の北由良に陣屋を置き、2万石の領地を治めました。八木城の本丸石垣は、豊臣大名となった別所家の足跡を示すシンボルでもあります。

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