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まちの文化財(113) 養父市場にある領境石

まちの文化財(113) 養父市場にある領境石
コミセン養父の前にある領境石出石領文字がみえる
     コミセンやぶの前にある領境石          出石領文字がみえる

養父市場のコミセンやぶの前に、1本の石柱が建っています。大きさは一辺25cmの四角形で、高さは170cmあります。下から1m付近で折れていることから、鉄骨の枠を作って支えています。 この石柱には、21cm四角ほどの大きな文字で、「従是(これより)北出石領」という文字が彫ってあります。

出石藩封内明細帳という古文書には「堀畑村境、御分杭(ごぶんくい)有是(これあり)、従是(これより)北出石領、延享四年より石に成(なる)」と記されています。御分杭とは、出石藩の領境を示す領境石のことです。

この石柱は延享4年、西暦1747年に、出石藩の領地である養父市場村と、生野代官所が支配する江戸幕府の領地である堀畑村との領境に、出石藩が立てたものです。

このような領境石は高柳村(養父市八鹿町)にもあります。文字は従是東出石領。宝暦4(1754)の建立です。現在は失われていますが、若杉村(養父市大屋町)にもありました。文字は従是東出石領。延享3(1746)に若杉峠に立てられました。

この年、久畑村(豊岡市但東町)と余部村(美方郡香美町)にも立てられました。出石藩の領地を示す領境石が、但馬各地で合計5本立てられました。

現在でも国道には、養父市や朝来市など、市や町の境界を示す表示板が立っています。その歴史的な起源は、このような領境石にあります。

コミセンやぶの場所は、明治22に発足した養父市場村の村役場の場所です。その後、昭和15年町制をしいて養父市場村は養父町となりました。現在も養父小学校があります。養父地区の中心地に出石藩の境界石が移転され、保存されています。

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