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まちの文化財(91) 鉄屋米地と鋳物師

まちの文化財(91) 鉄屋米地と鋳物師

9101 畑で出土したカナクソ
     金物をの神さま、八柱神社         集落の畑で出土したカナクソ

養父市には、奥米地(おくめいじ)・中米地・口米地・鉄屋米地という集落があります。地理的にはいずれも米地川の流れる地域で、川に沿って奥・中・口という位置を示しています。しかし鉄屋(かなや)だけは、こうした地形とは関係がない言葉です。

実は、古文書に鉄屋米地が出てきます。応永7年(1400)5月28日付の太田垣通泰という武将の書状です。その古文書の内容をみると、“「当国、三江路金屋、鋳物師等」は、「藏人所、燈炉供御人のため」、「勅役勤仕」の者どもである”と書いてあります。

鉄屋米地(かなやめいじ)という地名は、古文書では三江路金屋(みえじかなや)となっています。この古文書の意味は、鉄屋米地の鋳物師たちは、朝廷の蔵人所に属して、鋳物関係で天皇に奉仕する供御人という職業集団であるというものです。しかしその実態は、全く分かっていません。

鉄屋米地の区長さんは、「昔、囲炉裏で使う湯わかしをカンスと言いました。地元にはカナヤガンスという言葉が伝わっています。鉄屋米地で作ったカンスという意味です。現在も旧家にはカナヤガンスが伝わっています」と話しまました。

鉄屋米地の畑では、カナクソと呼ばれる鋳物を作る時にできる鉄くずも発見されています。そして地元の八柱神社は、もともと金物の神様をまつる金屋神社であると言われています。

つまり600年ほど昔、鉄屋米地は、但馬国を代表する鋳物生産に取り組む集落でした。鉄屋米地という地名は、米地の中の金物を生産する村という意味の地名であると考えています。

江戸時代に作られた出石藩の集落明細帳をみると、家数は13軒で、この時代には、鋳物は生産していません。しかし鋳物生産に由来する鉄屋米地という珍しい地名は、現在も受け継がれています。

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