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まちの文化財(82) 一円電車は走る

まちの文化財(82) 一円電車は走る

一円電車の体験乗車会


運転手による一円電車の説明



明延鉱山は、最盛期には日本国内で産出する錫の95%を掘り出しました。明延鉱山で掘った鉱石を神子畑選鉱場に輸送するための電車が明神電車です。明延鉱山では鉱石を掘り、神子畑では鉱物を選鉱しました。明延鉱山と神子畑選鉱場は約6kmも離れていますが、一つの鉱山として、車の両輪のように機能しました。
明治42年に明延鉱山で日本一の錫の鉱脈が発見されました。明延の鉱石は、最初は牛車や馬車で、山をこえて神子畑まで運びました。大正元年には空中索道が完成し、リフト機械によって鉱石を運搬しました。そして昭和4年になって、全長3,973mのトンネルが完成して鉄道輸送が始まりました。
さらに昭和20年には、鉱石だけでなく人を運ぶための客車の運行が始まりました。昭和27年から昭和60年まで33年間も、料金1円で人々を運びました。これが一円電車です。片道30分、客車は2両で定員は約40人でした。本当の料金は、鉱山の人は1円、鉱山外の人は10円でしたが、一円電車が有名になりすぎたので、全員1円になったともいいます。
平成22年10月、明延振興館前に一円電車の線路が完成しました。距離は70mですが、蓄電池機関車で客車くろがね号を牽引しています。くろがね号は、明延鉱山で製造した本物の客車です。現在は月に1回、第1日曜日の10時から15時まで運行をしています。それ以外でも明延自然学校に、探検坑道とセットで予約をすると、乗車ができます。
明延振興館前に、くろがね号を牽引した電気機関車18号機(昭和17年、三菱電機株式会社製造)と自走式の白金号を展示しています。実は、白金号とくろがね号は、明延鉱山工作課が設計し、製造したものです。明延鉱山では電車も自分たちで作りました。電車の製造も鉱山技術の一つでした。
神子畑の選鉱場は東洋一の規模を誇りました。これは明延鉱山の錫の採鉱量が東洋一であったからです。明延鉱山もまた東洋一の鉱山でした。最盛期の明延の人口は4,167人、明延小学校の児童数は780人という大きな鉱山町でした。
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