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まちの文化財(81) 宗祇法師の句碑

まちの文化財(81) 宗祇法師の句碑

三谷にある句碑


宗祇法師の句碑



連歌(れんが)を知っていますか。和歌の上句である長句と下句である短句をそれぞれ別の人が、百句を詠み続けて百韻とするのが一般的です。
中世連歌の最高峰と呼ばれる人物に飯尾宗祇(いいおそうぎ)がいます。有名な作品が水無瀬三吟百韻(みなせさんぎんひゃくいん)です。宗祇は、享徳3年(1454)冬、山名宗全や宗砌(そうぜい)らとともに但馬国九日市(豊岡市内)に下向しました。ここに但馬守護所がありました。
この宗祇の句碑が三谷にあります。自然石に「世ニ経盤佐羅尓時雨の舍り可那」と刻まれています。
これは、「世にふるも更に時雨(しぐれ)の宿りかな」という宗祇の名句です。自分の生涯は、しぐれが過ぎる一時の宿りのように心細いのに、本当のしぐれが身に降りかかるという意味になります。
旧三谷小学校に入る県道の分かれ道に石碑があります。石碑の裏側には、安政6年(1859)、三谷村の村上清信と上山村の北垣秋孝の二人が、宗祇法師の旧跡が忘れられることを嘆いて塚を建てると書いてあります。 江戸時代に俳諧を確立した松尾芭蕉は、宗祇を大変尊敬し、「世にふるもさらに宗祇のやどりかな」という句を残しました。
近くにある森の祐徳寺は、元徳2年(1330)に開かれました。開基は山名時氏、開山は大燈国師です。山名時氏は山名宗全の曾祖父にあたります。大燈国師は京都の大徳寺を開山した有名な高僧で、花園天皇や後醍醐天皇も帰依しました。
宗祇の師匠である宗砌は、山名宗全の家臣です。宗砌の弟子に太田垣朝定がいます。もともと太田垣氏は建屋を本拠地とする山名氏の武将であり、祐徳寺に領地を寄進しています。つまり山名氏と太田垣氏の縁によって、宗祇や山名宗全も祐徳寺のある森集落や歌碑のある三谷集落を訪れたかもしれないと想像しています。三谷城を正面に望む高台に宗祇の句碑が静かに立っています。
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