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まちの文化財(79) 大薮の塚山古墳

まちの文化財(79) 大薮の塚山古墳

塚山古墳の表面の石材


発掘調査の様子



大江から世賀居、舞狂、大薮、大塚にかけての円山川の右岸地域には、150基以上の古墳が密集して造られています。
この地域にある多くの古墳は、6世紀末から7世紀中頃に造られました。この時代は古墳時代の終末期、または飛鳥時代とも呼ばれています。推古天皇や聖徳太子が活躍した時代です。
そして大薮には4基の兵庫県指定文化財の古墳があります。禁裡塚古墳・塚山古墳・西ノ岡古墳・こうもり塚古墳です。塚山古墳は、但馬地域で第3番目に大きな横穴式石室をもつ古墳です。
今回、塚山古墳の一部で発掘調査を行いました。小山を利用した古墳で、山を削り出して、円形に地形を整えていることが判明しました。
古墳の表面には長さ20cmから40cmほどの石材を貼り付け、古墳の周囲を石材で覆っていることが分かりました。そして石材の一部は、古墳の内部から石垣状に積み上げて作る墳丘内列石と呼ぶ構造になっていました。
つまり塚山古墳は一辺が約40mもある四角形の土地に、直径約30mの円墳を造っています。尾根の上に古墳を置き、その両側の谷筋を墓域として取り込み、古墳の敷地面積は約3000平方mになります。
このような広い土地を敷地として利用して1基の古墳を作る事例は、但馬地方でも他に例がありません。まさしく兵庫県を代表する古墳です。飛鳥時代に中央豪族の蘇我氏などと連携し、但馬地方を統率した豪族のお墓だと考えています。
養父という地名は、養父市場、薮崎、大薮の地域が発祥の地です。6世紀後半から7世紀中頃にかけて大薮に古墳を作った勢力が活躍したので、養父という地名が養父郡の郡名になったという説があります。養父市の養父という地名のルーツは、大薮の付近にあります。

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