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まちの文化財(56) おりゅう柳の伝説

まちの文化財(56) おりゅう柳の伝説

伝説のおりゅう柳の場所


人物の後方の窪地が柳の幹の跡



兵庫県立但馬全天候運動場の東側に、おりゅう柳の伝説の場所があります。そこは現在、直径約30mで、深さ約2mの窪地となっています。高柳や国木では、この窪地いっぱいに根をはった柳の大木があったと伝えられています。
それは、昔々ある時、九鹿から高柳の造り酒屋に奉公にかようおりゅうという娘がいました。行き帰りには峠にある大きな柳の木の下で、いつも若い侍が待っており、次第に話をするようなりました。
しかしある日、京都の三十三間堂を建てるために、峠にある柳の大木を切り出すことになりました。数日をかけて巨木を切り倒します。しかし二日目には、昨日の切り口がふさがってみあたりません。夜の間に木屑が舞い上がって切り口をふさいでいました。このため木屑を燃やしながら切ると、やっと木が倒れました。
今度は、京都にむけて数万人の人が大木を引きました。しかし大木は、全く動きません。そこで娘のおりゅうさんが、木遣り(木を引き出すために音頭をとること)をすると静かに動きました。若い侍は柳の精でした。
これが養父市に伝わる伝説、おりゅう柳です。しかし九鹿や馬瀬ではやや違って、高柳から岡の造り酒屋に奉公にきていた娘だといいます。
これと類似した話が、江戸時代の人形浄瑠璃「三十三間堂棟木由来」にあります。しかしその場所は、養父市ではなくて紀伊国熊野です。そしておりゅう娘が柳の精で、若侍が木遣りするものです。男女の設定が反対になっています。各地に類似した物語が伝わっていたのでしょう。 京都の三十三間堂は、後白河法皇が命令して、長寛2年(1165)に建立した実在の寺院です。現在も京都東山にあります。つまりおりゅう柳の伝説は、虚実が交わった物語なのです。
伝説のおりゅう柳は高さが120m以上もある大木で、張り出した枝は八木川までのびる巨木であったと言われています。そしてこのおりゅう柳の大木にちなんで、高柳の地名がついたとも言われています。伝説も大切なふるさとの宝です。この由緒にちなんで現在、1本の柳の木が植えられています。

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