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まちの文化財(52) 市立山田風太郎記念館

まちの文化財(52) 市立山田風太郎記念館

山田風太郎記念館


山田さんが愛用した書斎の机



市立山田風太郎記念館は、作家・山田風太郎さんが通った関宮小学校の跡地に、平成15年に開館しました。山田さんから1500点の資料を養父市(当時は関宮町)が寄贈をうけて記念館の建設が実現しました。山田さんは記念館の完成を期待しておられましたが、平成13年、79歳で逝去されました。
山田風太郎さんの本名は、山田誠也といいます。大正11年、関宮村の医師・山田太郎氏の長男として生まれました。昭和4年に関宮小学校に入学、その後、昭和15年には旧制豊岡中学校を卒業しました。そして昭和19年、関宮の山田医院を受けつぐため、東京医科大学に入学しました。しかし大学に在学中の昭和24年、江戸川乱歩氏に認められ専業作家の道に進むことになり、戦後日本を代表する作家へと登り詰めました。
昭和55年、山田さんの母校である当時の関宮小学校の校庭に、創立100年事業として山田さんが子ども達に贈った詞、「風よ伝えよ、幼き日の歌」という文字を刻んだ記念碑が建られました。
山田風太郎さんは、ふるさと養父市のことを、「ふるさとは遠きにありて想うもの……という有名な室生犀星の詩は距離のことだろうが、私にとっては、それは時間である。昔の関宮がなつかしいのである。その記憶は、ずっとつづいていて、いま関宮に住んで、その間の関宮の変化にいつしか馴らされてしまった人々よりもむしろ鮮やかかも知れない」(『昭和前期の青春』)と語っています。
記念館の建物は、山田さんの代表作である明治物にちなんで明治時代の蔵をイメージした外観で作られました。展示室は1室だけの小さな記念館です。しかし山田さんが多くの作品を生み出した本物の机や書棚を展示し、その生涯を紹介しています。
現在は「山田風太郎の会」が指定管理者となって山田風太郎さんを顕彰し、全国に紹介しています。

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