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まちの文化財(46) 養父駅開業100周年

まちの文化財(46) 養父駅開業100周年

山陰線の駅舎がそのまま残る養父駅


明治41年の開業当初を伝える養父駅の待合所



養父駅と八鹿駅は明治41年7月1日に開通し、平成20年の7月1日で開通100周年を迎えました。江原駅と豊岡駅も翌年7月に開通します。駅の開業によって但馬から徒歩で神戸や大阪に人が移動する時代が終わりました。
養父駅の駅舎は、平屋建ての寄棟造りで、正面右側と右側面に庇を取り付けます。当時は高級品であったガラスの窓を多く利用しました。入口のプレートには「建物財産標・駅本屋・明治41年3月」の文字が確認できます。待合所の切符を買う窓口・受付台・壁の表面を飾る張り板などは、いずれも開業当時の姿のままです。養父駅は鉄道ファンの間でも有名なレトロな姿が残されている駅です。
養父駅の貨物の取扱量は、管理局内で第5位になる優秀な駅でした。養父市場の牛市で買われた子牛が一度に貨車50台に積み込まれました。日曹鉱業株式会社は、加保鉱山の鉱石を運搬する専用貨物ホームを昭和15年に建設しました。また山中鉱山・明延鉱山・十二所鉱山などの鉱石も積み込まれました。そして養父郡で生産された木炭の出荷基地にもなりました。
養父駅の建設には秘話があります。第1は、養父駅は養父市場の大薮橋南側に計画されましたが、用地確保が実現できずに堀畑に移転しました。しかし養父駅の名称は残りました。第2は、円山川の洪水対策を考えて、水田から約3mも高く土を盛り上げました。土砂は堀畑区の2か所の山裾からトロッコで運搬しました。第3は、養父駅を建設するために堀畑の御所森神社を明治40年に移転しました。第4は、現在の豊岡や城崎をとおるルート以外に4ルートが検討されました。その内の一つに、養父駅から大屋谷を通って若杉峠・戸倉峠から若桜を通って鳥取駅に至る山陰線ルートがあります。
養父駅と八鹿駅は国営鉄道として建設整備されました。明治41年にはまだ福知山駅と和田山駅の間は開通していませんでしたが、和田山駅から姫路駅経由で大阪につながりました。養父市の市民の生活を100年間も守り続けています。

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