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まちの文化財(36) 米地峠の駕籠置き石

まちの文化財(36) 米地峠の駕籠置き石

平成9年に発掘で発見した駕籠置き石


現在の駕籠置き石の公園



養父市場と出石の城下町をつなぐ道があります。米地谷(めいじだに)を通って高中(こうなか)から出石の和賀に続く道です。平成11年に林道が開通し、車で通行できるようになりました。
昔、出石藩の大名行列はこの峠を通りました。出石藩の参勤交代は、但東町から登尾峠を越えて江戸に向かう一方で、帰りは養父市場の本陣で身支度を整え、この峠を越えて出石に入りました。文化13年(1816)以後、6回の通行がありました。
高中の安達貞夫さんは「代官から申しつけられ、高中から峠まで殿さんの駕籠かきとして、村の若者を5、6人だしました。村ではこれをタイコもちと呼んでいました。本職の駕籠かきの応援をしたのでしょう。ある時、殿さんは峠で若者に、゛今日はえらいめをさした。ここから見える山や畑をやろうか゛といわれたそうです。しかし゛ようおもりをしませんので困ります゛と言って辞退したんです」と解説しました。
駕籠置き石は長く不明でしたが、平成9年の林道工事に伴う発掘調査で発見されました。峠の高中側に長さ20mで、幅3mから6mの見晴らしのよい広場がありました。この広場の北端で駕籠置き石が出現しました。石列を並べて約3.5mの正方形の空間を確保し、その中央に130cm×150cmの範囲に石列を巡らせて一段高くしたものです。
現在、峠の公園には駕籠置き石が復元されています。花崗岩質の平らな石材を中心に、周囲を石列で一段高くしたものです。
文化11年の伊能忠敬の測量日記には、この道を「出石道」といい、ここを「米地峠」と書いています。また和屋峠とか出石峠ともいいました。峠の広場には六体地蔵と峠の十丁地蔵がありました。十丁地蔵には「十丁 大谷 施主足立忠右衞門」の文字が読み取れます。また台座には、文化3年2月という年号もあります。高中から峠まで丁石地蔵が置かれ、峠で十丁になることから旅人の目安になりました。公園にはこれらの石仏を移転して保存しています。ぜひ一度ご覧ください。

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