CSS3を利用できるブラウザでご利用ください。 Please Use Web Browser support for CSS3. ( >= Firefox3.5 Safari4 Opera10)

まちの文化財(32) 祐徳寺の障壁画

まちの文化財(32) 祐徳寺の障壁画

竹虎図の軸物


土方稲嶺の虎渓三笑図



但馬を代表する優れた襖絵である障壁画(しょうへきが)が、森区の祐徳寺(ゆうとくじ)にあります。
祐徳寺の本堂は、今から約200年前にあたるの江戸時代後期に建て替えられました。この時期に襖絵も新しく新調されたようです。現在も5人の絵師が書いた襖絵が、本堂の部屋を仕切っています。人名が判明しているのは木村梁舟(りょうしゅう)、土方稲嶺(とうれい)、中蘭波(らんぱ)の3人です。
この中でも土方稲嶺は、江戸に出て宋紫石(そうしせき)に絵を学び、京都に往んで円山応挙とも交わりました。57歳の時、鳥取藩絵師に迎えられ、1897年に66歳で没しました。稲嶺の門人は大変多く、鳥取画壇の祖と呼ばれています。
稲嶺の作品には、4枚の襖を使った虎渓三笑図(こけいさんしょうず)があります。中国の東晋時代、東林寺に恵遠(えおん)という高僧がいました。寺域から外に出ない誓いをたてていましたが、訪ねてきた2人の友人を送って、そのまま虎渓の橋を渡リました。虎のなき声でそれに気づいた3人が大笑するという絵です。
この絵には稲嶺の署名があります。そして印には、廣邦(こうほう)の名が刻まれていました。稲嶺は、鳥取藩絵師になると名前を廣輔(こうほう)に改めました。つまり稲嶺が京都時代に描いた作品であると判明しました。他には、竹林にいる虎を描いた竹虎図(ちくこず)の軸物もあります。
また、中蘭波の絵は曾我蕭白(そがしょうはく)の画風を受け継ぐ力強い襖絵です。どうしてこのような優れた絵が、市内にあるのでしようか。
京都にある臨済宗の大徳寺を開いた大灯国師(だいとうこくし)が、元徳2年(1330)に祐徳寺も開山しました。このため、大徳寺の前住持が祐徳寺に多く入山しました。有名な沢庵宗彭も祐徳寺の歴代住職を勤めています。想像ですが、大徳寺が祐徳寺の復興を支援するために、京都の著名な絵師を派遣したと推定しています。

次のページ 前のページ