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まちの文化財(20) 浅野の宝筺印塔と五輪塔

まちの文化財(20) 浅野の宝筺印塔と五輪塔

宝筺印塔と五輪塔


(左)五輪塔 (右)宝筺印塔



養父地域の浅野の県道沿いに宝篋印塔と五輪塔が並んで建てられています。いずれも南北朝時代に花崗岩で作られた立派なものです。長く一つの塔として積まれていましたが、平成11年に分離して整備されました。
高い方が宝篋印塔で、低い方が五輪塔です。宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼経をおさめた供養塔です。上から相輪(そうりん)・笠・塔身・基壇(きだん)からできています。平成11年に失われていた塔身と相輪の一部を復元しました。高さは約2.2mもあります。中世の宝篋印塔では、市内で2番目に大きなものです。
基壇には格狭間というお椀形の彫刻が四方に彫られています。その中の一つに、花瓶にあたる宝瓶(ほうびょう)に三茎蓮華を生けた姿が彫りこまれています。
五輪塔は、墓碑や供養塔として多く作られた石造物です。下から四角・円形・三角・半円・宝珠形の五個の石材を積んでいます。地・水・火・風・空を表しており、一字ずつ梵字が彫られています。平成11年に失われていた上側の空輪(くうりん)と風輪が新しく復元されました。高さは約1.4mあって、中世の五輪塔では市内で一番大きなものです。
特に地輪の四面に梵字が刻まれています。その一面には「右志者為法界衆生(ほっかいしゅじょう)也、沙弥(しゃみ)道円、延文五[年]七[月]中」という文字が書かれています。延文五年(1360)七月に、在家出家者の道円が、あらゆる命を供養するために造立したという意味です。
この石造物は、「七日めぐり」の井垣甚十郎の霊をまつるものという伝承が語られています。家老の井垣甚十郎が、稲津城の殿様から奥方との密通を疑われました。井垣が打ち首になる時、無実を照明するために自分の首を建屋川に流してくれれば、上流にさかのぼるだろうと遺言しました。首は船谷の上流にある淵で、七日間ぐるぐるまわりました。ここは現在も「七日めぐり」の淵と呼ばれています。
そこで殿様がわびると八日目に下流に流れました。そして大屋川をさかのぼり、横行の大岩の上でにらみつけました。殿様は井垣の霊をなぐさめるために、浅野に供養塔を建てたというものです。
650年も昔に作られた養父市を代表する堂々とした石造物が、県道を行き交う人々を今も静かに見守っています。

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