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まちの文化財(151) 日本画家の斎藤畸庵

まちの文化財(151) 日本画家の斎藤畸庵


屏風を2枚の並べた作品


屏風に書かれた山水図

斎藤畸庵(きあん)は、幕末から明治時代初期に活躍した日本画家で、文化2年(1805)に城崎の伊勢屋という旅館に生まれ、明治16年(1883 )78歳で亡くなりました。
子どもの頃から詩や書を好み、京都に出で南画家の中林竹洞に絵を学びました。その後、和歌山の那智の滝、九州の耶麻渓(やまけい)などを旅行しました。晩年は東京で生活しています。養父市では十二所の満福寺に、斎藤畸庵が42歳の時に描いた山水図襖絵の大作があります。
斎藤畸庵の山水図屏風が、養父市に寄贈されました。屏風は2枚で1組となる6曲1双の屏風です。縦172cm、横376cmの屏風が2枚あり、開いて並べると長さは752cmになります。大きな迫力のある絵画が鑑賞できます。
絵は右端に湖を配置し、湖には島が浮かびます。湖から山並みの景色へと移り、山間の渓谷を渓流が勢いよく流れています。中央に高い山並みを描き、次第に山並みが遠ざかって平地が広がります。漢字で詩を書き、畸庵居士と署名しています。制作は文久元年(1861)、56歳の時です。
日本画は一般的に掛け軸が多く、屏風や襖絵は大きな作品となるため点数は少なく代表作になります。
斎藤畸庵は青谿書院を何度も訪れ、池田草庵と面会しています。そして建物や水田、山並みの風景を描いた青谿書院図を残しています。また、斎藤畸庵の息子の斎藤哲太郎は、安政6年(1859)青谿書院に入門し、明治時代に八鹿に作られた私塾、山陰義塾の教授となっています。斎藤畸庵も池田草庵に我が子の教育を託した一人です。

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