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まちの文化財(149) 八鹿小学校の校訓

まちの文化財(149) 八鹿小学校の校訓


杉孫七郎の亦透

三条実美の龍翔鳳舞
三条実美の龍翔鳳舞

池田草庵先生が子ども達に教えた朱子学の中に、「陽気(ようき)の発する処、金石(きんせき)も亦透る、精神一到、何事か成らざらん」という言葉があります。
八鹿小学校の玄関には、「亦透(またとおる)」「明治十二年」「宮内大輔、杉孫七郎」の文字を書いた扁額があります。
杉孫七郎は長州藩士で、吉田松陰に儒学を学んだ人物です。当時の宮内大輔(くないたいふ)は宮内庁の副長官のような役職です。現在、亦透は八鹿小学校の校訓となっている言葉です。
能座村出身の北垣国道は、琵琶湖疏水を作った第3代京都府知事です。少年期に青谿書院で池田草庵先生の教えをうけた北垣はこの言葉を座右の銘としています。琵琶湖疏水の歩行者専用トンネル、通称「ねじりまんぽ」の入口の上に、「陽気発処」という文字を石製の扁額の形で残しています。
朱子学の語句の中でも、池田草庵に学んだ北垣国道は「陽気発処」を大切にし、吉田松陰に学んだ杉孫七郎は「亦透」を重視しています。
また八鹿小学校の校長室には、三条実美(さねとみ)の署名で「龍翔鳳舞」と書いた扁額があります。龍が飛び鳳凰が舞うという大変よい言葉です。三条実美は明治維新の功労者で、明治の元勲として有名な人物です。
三条実美は琵琶湖疏水の第3トンネルの西口に、石製の扁額で「美哉山河(うるわしきかなさんが)」の文字を書いています。なぜ、杉孫七郎や三条実美といった明治政府の指導者たちが書いた扁額が、八鹿小学校にあるのでしょうか。
北垣国道は大正5年に京都で亡くなりましたが、その功績を記した墓碑銘の文章は、杉孫七郎の作成です。北垣国道を中心とした政治的な友人関係の中に、杉孫七郎や三条実美も存在しています。
池田草庵に学んだ八鹿の門人たちが、北垣国道やその他の門人たちを通じて依頼し、子ども達の成長を願って、八鹿小学校に贈った宝物だと想像しています。

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