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まちの文化財(141) 満福寺の柿本人麻呂像

まちの文化財(141) 満福寺の柿本人麻呂像

 柿本人麻呂の掛け軸

 人麻呂の表情

柿本人麻呂の掛け軸

 人麻呂の表情

江戸時代後期、京都では与謝蕪村・池大雅・円山応挙・伊藤若冲(じゃくちゅう)が活躍していました。この時代の絵画に反抗し、円山応挙に強い対抗意識をもった人物が曾我蕭白(そがしょうはく)です。
曾我蕭白の代表作である柿本人麻呂像が、満福寺に所蔵されています。軸装の紙本墨画で、養父市指定文化財です。署名は「式部卿法眼蛇足(ほうがんだそく)十世平潔明筆」です。
曾我蕭白は、享保15年(1730)から天明元年(1781)まで活躍した絵師です。青年期には伊勢や播磨地方で活動し、40歳代に京都に定住しました。
明和4年(1767)、38歳の時、高砂市の曽根天満宮に牽牛図絵馬(兵庫県指定文化財)を残しています。この頃に但馬の城崎温泉を訪問し、柿本人麻呂像を描いたと推定されており、但馬における曾我蕭白の足跡を示す貴重な資料です。
平成17年、京都国立博物館で開催された『特別展覧会曾我蕭白』に出品され、全国的に有名になりました。
展覧会の図録には「歌聖人麻呂をあたかも一般凡人の地平にまで引きずり降ろすこと」に特徴があり、歌に向かっていない時の柿本人麻呂を凡人として表現した洞察力が高く評価されています。
太い筆によって濃く力強く帽子や衣を描く一方で、顔はやや薄い墨で人間味のある柔らかい軽妙な表情で表しています。また、目玉は中央によって視線は上空を向き、緊張感はありません。左手の親指と人指し指の間に小筆を握り、筆先は上を向いて筆を休めています。
但馬に残る貴重な曾我蕭白の絵画であり、但馬を代表する近世絵画の一つです。

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