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まちの文化財(137) 古屋の小倉寛一郎

まちの文化財(137) 古屋の小倉寛一郎

 小倉屋敷の石垣 画像

 小倉屋敷の石段 画像

 小倉屋敷の石垣

 小倉屋敷の石段

明治政府は明治5年フランス人技術者を招き、日本初の器械製糸場として富岡製糸場を建設し、全国から伝習工女を募集しました。
明治7年に出石藩の武士の娘21人が応募し、明治9年に技術を習得しました。そして、明治10年に日高町に完成した兵庫県模範工場の指導者となりました。日本で行われていた座繰(ざぐ)り製糸は片手で繭から糸をとりますが、器械製糸は両手で糸をとるため効率的です。
明治10年小倉寛一郎は、養父市大屋町和田の古屋で盛業製糸場を創立しました。当初は座繰り製糸でしたが、明治11年に水車動力による木製器械製糸を導入しました。
さらに明治13年、小倉寛一郎は製糸場の改修するため富岡製糸場を視察し、渋沢栄一から教えをうけました。明治14年には古屋の製糸場に12馬力のボイラーを設置し、富岡式の器械製糸場を開始しました。
このボイラーは、小倉寛一郎が森岡昌純兵庫県知事の紹介で神奈川県にある官営工場の横須賀工廠に特注したものです。当時、ボイラーは国内では生産できなかったと言われています。ボイラー設置に必要な煉瓦は、明石から煉瓦職人をよびよせ、宮本村に窯を作って生産しました。明治15年、小倉寛一郎は出石の熟練工女を多く採用し、本格的に操業を開始しました。
明治40年の小倉屋敷の絵図が残っています。屋敷の周囲は塀・門・蔵で囲まれ、主屋を中心に8棟の建物が配置されています。ここに盛業製糸場がありました。現在は杉林の中に立派な石垣が残っています。
小倉寛一郎は明治11年に田島弥平の紹介で皇居の御養蚕所を見学し、明治14年には渋沢栄一と共に横浜生糸預所の開設に尽力しました(『三丹蚕業郷土史』)。豊岡市但東町で赤花製糸場を経営した橋本龍一や小倉寛一郎は、関西地方における近代的な製糸業推進の先駆者です。

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