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まちの文化財(132) 片岡城跡

まちの文化財(132) 片岡城跡

国道9号からみた片岡城跡 画像

主郭にある城主の顕彰碑 画像

国道9号から見た片岡城跡

 主郭にある城主の顕彰碑

関宮区の片岡集落は、国道9号にそって住宅が並んでいます。この住宅の北側にある国道から25mほど高い山の上に、地元の人が城山と呼ぶ場所があります。ここが片岡城跡です。
片岡城の西側と東側に、谷川が流れています。城山を守るための堀として谷川を利用し、要害の場としています。また城山の後ろ側には、まご屋敷の地名があり、殿様の荷田を運ぶ馬子の屋敷があったことに由来する地名だと言われています。
城の中心部には、南北55m・東西27mの広い屋敷跡となる平坦地があります。その後方の5mほど高い場所に、南北10m・東西20mの平坦地があります。ここが主郭(しゅかく)になります。主郭は江戸時代の城郭では本丸と呼ぶ場所にあたります。主郭の北側には土塁があり、その外側に堀切から竪堀が続いています。
片岡城跡は、山城と城主屋敷の機能を併せもつ、館城(やかたじろ)と呼ばれるものです。城跡の正面から山道をおりると、現在は民家の裏道となっていますが、明治時代初期まで山陰道が通っていました。
弘治3年(1557)に書かれた『但馬国にしかた日記』という古文書には、片岡御寺や片岡殿という記録されています。片岡御寺は城主の菩提寺であり、関宮区にある多聞寺のことではなく、片岡薬師堂と推定しています。
片岡城は、城主片岡氏が羽柴秀吉・羽柴秀長の但馬攻めを恐れて轟村に逃げて廃城となったと伝わっています。主郭には、片岡総家之墓と彫った城主の顕彰碑が建てられています。建立の時期は不明ですが、幕末から明治時代前半頃と思われます。
三柱神社の境内には、片岡城が廃城となる時期に作られた一石五輪塔が3基祀られています。片岡城跡は八木城の支城であり、羽柴秀吉による但馬攻めを物語る伝承地となっています。

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