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まちの文化財(131) 念仏行者の是得上人

まちの文化財(131) 念仏行者の是得上人
 

堀畑にある是徳の石碑 画像

 

建屋にある是徳の石碑 画像

堀畑にある是徳の石碑

建屋にある是徳の石碑 

念仏行者の是得上人 但馬地方では江戸時代後期、浄土宗の念仏行者である徳本(とくほん)上人とその弟子の是得(ぜとく)上人が活躍しました。
養父地域には「南無阿弥陀仏」の文字を彫った石碑が49基もあります。その中には徳本上人の自筆文字を刻んだ8本、是得上人の自筆文字を刻んだ12本があります。こうした石碑を念仏供養塔または名号碑(みょうごうひ)と呼びます。
是得上人は宝暦13年(1763)和歌山県日高郡に生まれました。和歌山県などで活躍し、文政7年(1824)61歳で亡くなっています。
是得上人は文政元年(1818)4月、新温泉町の勝願寺に来ています。また文政4年5月、和田山町宮内で地蔵開眼供養を行うなど、但馬各地で活躍しています。
是得上人の石碑は養父市内でも特に養父地区に多く、広谷・建屋地区から宿南地区にあり、大屋市場・出合の集落にも認められます。
これらの石碑は文政8年から5年間までに、堀畑・広谷・中米地・養父市場の西念寺・石ヶ坪・奥米地・上箇に建てられ、その後大薮・大塚・建屋・寄宮・川西などに建立されました。
堀畑の石碑には「南無阿弥陀佛、利剣即是(りけんそくぜ)弥陀號、一聲称念(いっせいしょうねん)罪皆除、是得、文政八年」の文字があります。是得の死後、1年後の建立です。
養父地域は四十八夜念仏が25地区で行われ、但馬地方でお念仏が盛んな地域です。徳本上人や是得上人などの念仏行者の活躍がこうした信仰とも関係するのでしょう。
是得上人の弟子に是法(ぜほう)上人がいます。是法上人は養父市餅耕地の松下家の出身です。篠山市新荘には是法上人の名号碑が建てられています。但馬地域で徳本・是得・是法という3人の念仏行者が活躍しました。

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